ワケありオヤジの独り言

   「ありがとう」の奇跡は本当か?

  • カテゴリー+タグ:日記 書籍 やってみた
  • ところで半年ほど前でしょうか、書店でこんな本を見つけました。

    ありがとうの魔法


    私はまだ、立ち読みだけしかしていないので詳しいことはわからないのですが、なんでも「ありがとう」を唱え続けると奇跡が起こる、ということらしいです。
    とりあえずネット上でもいろいろ検証されているようですが、人によっては「1000回唱えた」とか「2000回唱えた」とかいう人もいるようで、中には何と「5万回唱えた」などという兵もいるそうです。
    むろん、これは一日でやってのけた数、という訳ではないようですが。
    そうやってありがとうを唱え続けたら「ガンが消えた」とか「宝くじが当たった」とか「知らず知らずに涙がこぼれてきた」とか、なんだか科学では説明できそうもないエピソードが、いくつか紹介されていました。
    そういうことを聞くと、私とて黙ってはいられません。
    これはもう、毎日「ありがとう」を唱え続ければ、きっと自分のどうしようもない人生も好転するに違いない。
    とりあえず感情をこめなくてもいい、心の中でも構わない、ということでしたので、私はカウントタイマーをカチカチしながら、毎日のように「ありがとう」を唱え続けました。
    そしたらどうでしょう、なんと私の身に信じられないような奇跡が…。
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       のび太少年の未来は明るい? それとも絶望的?

  • カテゴリー+タグ:日記 ドラえもん アニメ 教育
  • 先日、林公一・木全公彦さんの著書『大人になったのび太少年』(宝島文庫)を久しぶりに読みました。
    内容はというと、『ドラえもん』のび太少年を始め、『鉄人28号』正太郎、『ひみつのアッコちゃん』『まことちゃん』など、漫画の世界で主人公だった子供たちが大人になったらどうなるか? という内容です。
    この本の著者のひとりである林公一さんは精神科医であるため、原作で描かれている少年主人公の言動から、そのキャラクターを読み解き、精神科医らしい解析から、「きっとこの子たちは大人になったらこうなるだろう」と推測されています。
    ただ、どういうわけか、その主人公たちの行く末は、あまり良いものになるとは分析されていないようです。
    例えば、著書のタイトルとなっているのび太少年の場合は、要約すると以下の通り。

    【パターン1】
    ドラえもんが帰った後もその刺激が忘れられないのび太少年は、大人になってついには自分で「ひみつ道具」を作ってしまい、ベンチャー企業の旗手、第2のビル・ゲイツとなる。

    【パターン2】
    ドラえもんが帰った後も、その依存心が抜けきれず社会人になっても使い物にならないダメ人間。


    【パターン3】
    ドラえもんが帰ったあと、パソコンがドラえもんの代用品。
    一日中、ネットとパソコンの中の2次元少女に恋する30歳過ぎの童貞オタク。


    とあまぁ、一番最初以外はロクな人生を歩んでおりません。
    ただ、こののび太少年に限っていうなら、少し気になることがあります。
    それは、この本の著者は、のび太があやとりと射撃の名人だということには一切触れていないことです。
    私にはどうしてもこの2つの事実も、決して侮れない事実なんじゃないかと思ってしまうわけです。
    あやとりに関しては、それで培った手先の器用さを生かしてモノづくりの分野で大活躍する、というのは「ひみつ道具をつくってしまう」というのに通ずるものがあります。
    では、射撃の名人は?
    私などは、のび太少年は後にオリンピックに出場し、射撃競技で金メダルを取る、なんてことも可能なんじゃないかと思ってしまいます。
    あの、どうしようもないのび太少年が、自らひみつ道具を作って大儲けする、という劇的な変化が可能なら、オリンピックで金メダルも可能なんじゃないかというわけです。
    この著書ののモデリングとなったマンガの主人公の行く末は、あまり芳しいものとはいえませんが、もしかしたらそれは現代の教育の在り方と密接な関係があるのかなと思ったりもします。
    例えば、子供たちの短所を直すことに徹底する教育か、それとも長所を徹底的に伸ばす教育かで、その後の子供たちの未来も大きく変わる場合もありますからね。
    果たして、現代の日本の教育はどっちがメインなんだろう?
    もしかしたら、日本の教育そのものが前者がメインであるがために、のび太君の射撃の才能が埋もれてしまうのかな?
    などと、色々と考えさせられました。

    ところで『ドラえもん』といえば、妻夫木聡やジャン・レノらによって実写化されたCMがありましたが、そこで出木杉君を演じていたのは、体操の内村航平選手でした。
    時期はちょうどロンドン五輪直前。
    そのCMではオリンピックにいつの間にか出場していた出木杉君に、のび太らが驚くというシーンがありました。
    しかし、のび太君が射撃の名手だったということを考慮すれば、彼だってオリンピックに出場したっておかしくないわけです。
    そこで私は、こんなことを想像してみました。
    ロンドンオリンピックの特設スタジオに、金メダルを肩からぶら下げた出木杉(内村航平)選手と野比(妻夫木聡)がやってくる。
    特設スタジオのメインパーソナリティーの中居君は2人にこんな質問を。
    「何でもお二人は、小学校の同級生だったんですってね」
    その質問に、出木杉選手と野比選手はお互いの顔を見合わせて照れ笑い。
    そして実は小学校時代、2人は同じ女の子が好きだった、という事実に、中居君がものすごく食らいつきそうです。


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       仰天トリビア? 『笑点』は昔、番組内でストリップショーをやったことがある

  • カテゴリー+タグ:日記 バラエティ番組 笑点 テレビ
  • 時期がかなりずれますが、今月の2日に落語家の桂歌丸さんが逝去されました。
    81歳だったそうです。
    葬儀は11日(本日)に妙蓮寺で行われたそうです。
    歌丸さんの訃報が伝えられたのは、おそらく7月3日前後で、ちょうどそのころ、サッカー日本代表がベルギーと対戦した時期でした。
    7月の2日から4日までの間には、大きな話題が2つも飛び込んできたんですね。

    ところで歌丸さんといえば、『笑点』ファンの間では、円楽さんとの罵り合いバトルが名物となっていたようです。
    しかし、私はそのころの『笑点』は、まったく見ていないんです。
    私が『笑点』をよく見ていたのは、おそらく1982年までだったと思います(またもや82年)。
    ちょうどそのころといえば、初代・三波伸介さんが司会をされていて、彼がその年の12月に亡くなられてからというもの、ほとんど見なくなりました。
    その当時、その番組の名物だったのか、桂歌丸さんと三遊亭小圓遊(1980年没)さんとの、壮絶なる罵り合いバトルでした。
    当時の小圓遊さんのヒョロリとした風貌から、歌丸さんはよく彼のことを「幽霊だ幽霊だ」とからかっていました。
    一方の小圓遊さんは歌丸さんのことを「ハゲ、ハゲ」とからかう。
    子供心に、あの二人のバトルはいつも楽しみにしていました。
    今ごろ、このお二人は、天国で一体どんな会話をされているのでしょう?

    さて、ここで『笑点』のトリビアをひとつ。
    私がよく『笑点』を見ていたころ、この番組の特大号が放映されたことがありました。
    当時の『笑点』は40分番組だったのですが、その特大版に限っては、おそらく60分か90分に拡大されていたと思います。
    そのとき行った大喜利も特大版。
    出されたお題の回答に、出演者の方々は、大掛かりな演出で対応していました。
    そのときのお題のひとつが
    「俺(三波伸介)が借金取りになって金の取り立てに来るから、君たちは、俺が納得するような口実で追い払え」
    というものでした(ここら辺のことは記憶を頼りに書きました)。
    小圓遊さんは三波伸介さんの借金取りに対して、自分のキャラを生かし、幽霊になって撃退するというものでした。
    ドロドロドロという例の効果音とともに、幽霊に扮した小圓遊さんが「恨めしやぁ~」。
    それに対して三波伸介さんは、「まいったまいった」といって退散。
    そんな中、私が忘れられないのが林家木久蔵(現・木久扇)さんの撃退方法です。
    「母ちゃん、母ちゃん」
    と木久蔵さんが舞台袖へと呼びかけると、舞台裏から若い女性が登場。
    すると突然、舞台の照明が妖しげな光を放って、なんと彼女のストリップショーが始まったのです。
    そうです、木久蔵さんが考え出した撃退方法は、色仕掛け。
    伸介さんの前で一枚一枚衣服を脱いでいき、ついには…。
    さすがにスッポンポンにはなっていませんが、私が覚えている限りでは、かなりキワドいところまで行っていたと思います。
    この特大版が放映されていたのは、夕方の5時か6時ごろ。
    まさかこの時間帯に、裸同然の若い女性を出演させるとは。
    今ではとても考えられないことですね。
    とはいいつつも、それを真剣に見てしまった私も私ですが。
    当時の私は、かなりマセていたんですね。


    ↓なんと、これがオリジナルだったんですね。しかもルイ・アームストロング。



    ↓『笑点』のオープニングにソックリだという噂も。

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       時代は変わった。82年からJリーグまで

  • カテゴリー+タグ:日記 サッカー サッカーW杯 Jリーグ
  • 最近、日記のカテゴリーでは少々サッカーネタづいていますが、もうしばらくおつき合いを。
    我が国でサッカーというスポーツが、ある種の市民権を得たのはおそらく1992~1993年あたりからでしょうか。
    1993年といえばJリーグが開幕した年で、その前年にはナビスコ杯が開催されています。
    そのころはといえば、もうそれこそ猫も杓子もサッカー一色の時期でした。
    とくに若い女の子を中心に、サッカー人気は高まっていきます。
    ちなみに本場の欧米では、サッカーというのは男性が見るものと相場が決まっていたそうです。
    いわゆる日本でいえば、ビール片手にプロ野球中継に熱中するサラリーマン、といったところでしょうか。
    今大会のワールドカップなんかを見ていますと、熱狂的な応援の声は、ドスの効いた男性声がほとんどです。
    ところが93年のJリーグブームでは、試合会場では、まるでジャニーズ運動会であるかのような黄色い声援が飛んでいました。
    82年、86年、90年のワールドカップの記憶が、まだまだ生々しく残っている私としては、その黄色い声援が、何だかとても不思議な感じでした。

    さて、先述したとおり、私が初めて見たワールドカップは82年のスペイン大会です。
    ちょうどそのころ、(あまり言いたくないのですが)私は中学生でした。
    そしてそのころの体育の授業では男子は運動場でサッカーを、女子は体育館でバスケットボールを習っていました。
    そんなある日の体育の時間、運動場が雨で使えず、体育館も他の学年が使っているため使用できない、というときがありました。
    そんなとき私たちのクラスは視聴覚室で、サッカー・ワールド・カップ・スペイン大会のハイライト集を鑑賞することとなりました。
    ちなみにそのハイライト集は、NHKで放映されたものの録画です。
    皆さんのご想像では、その時はさぞや盛り上がっただろうと思われがちですが、まったくそんなことはありません。
    それどころか、こともあろうに、当時の女子生徒たちは、そのハイライト集を見てゲラゲラと笑い飛ばしていました。
    先ほども言いました通り、サッカーというスポーツが日本で市民権を得たのは、ここ25年程前です。
    82年の女子生徒たちにとっては、そのサッカーというスポーツは、たまに部活で見るぐらいで、本場の欧米のサッカーて見たことがなかったでしょう。
    そのため、選手たちがゴールを決めて大喜びするシーンや、PK戦で祈りをささげている選手たち、試合に負けて泣き崩れている選手の姿というのは、当時の女子生徒たちにとって笑いのポイントでした。
    それもそのはず、当時の彼女たちには、自分の感情を大袈裟に表現する外国人の姿というのは、さぞや滑稽に見えたのです。
    ところが今はどうでしょう。
    選手たちと一緒に喜び、一緒に祈り、一緒に悲しむ女の子たちの姿というのは、もはや当たり前になってしまいました。
    しかも、そんな女の子たちの姿が当たり前になったのは、あのスペイン大会のハイライトを見たときから数えて、ほんの10年後のことです。
    時代は変わったなぁ…。
    Jリーグの試合会場で黄色い声援が飛び交う中、その黄色い声援に違和感を感じる一方で、なんだか感慨深いものを感じているのでありました。


    ↓82年と93年のヒット曲です。




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       解禁? サッカー日本代表談

  • カテゴリー+タグ:日記 サッカー サッカー日本代表 サッカーW杯
  • サッカーワールドカップも、いよいよ準決勝と決勝戦を残すのみとなりました。
    さて、今回の大会は何と言っても日本代表がいい意味で期待を裏切る大活躍を見せてくれました。
    本来であれば、ここでもその話題をとりあげたかったのですが、そうしなかったのは、単なるゲン担ぎでしょうか。
    私がここで取り上げたら、日本代表がさっさと負けてしまいそうな気がしてあえて取り上げませんでした。

    ところで、私が初めてワールドカップを見たのは、1982年のスペイン大会でした。
    当時はジーコも現役のバリバリで、その大会が初登場だったマラドーナが、1次リーグで相手選手に飛び蹴りして一発退場してしまいました。
    その大会以降、私のニワカ人生の始まりです。
    ニワカということは、もちろんくわしいことはわかりません。
    しかし、トヨタカップやワールドカップの日本代表戦以外の試合をテレビで放映されていたりすると、ついつい見てしまいます。
    以前記事にした、アメフトもそうですね。
    ちなみに日本代表戦ですが、これはまあ、思わずハラハラドキドキでになってしまって、見ちゃいられないというのが本音でしょうか。
    そんな私ですから、サッカーにしろ高校野球にしろ、地元のチームが負けちゃうと、とことんガッカリです。
    本来、私のような人間は、地元チームに熱を上げるより、お風呂上りにR-1でも飲みながら、ゆっくりとフランス対ウルグアイ戦などを見ている方が性に合っているのかもしれません。

    かなり前置きが長くなってしまいましたが、今回の日本代表の結果については、ネット上ではいろいろ言われているみたいですね。
    「10人のチーム相手にまぐれで1勝しただけじゃないか」
    と揶揄する人もいるとか。
    確かに言われてみれば、今回の成績は1勝1分け2敗と、実は負け越してはいるのですが、今回の日本代表の試合は、どれも記録よりも記憶に残る試合ばかりだったと思います(悪い意味も含めて)。
    おそらく、これほどまでに私たちに強烈な印象を残した日本代表は、今まで存在しなかったのではないでしょうか。
    そう考えると、日本代表もここまでやれるようになったのかと、何だか感心してしまいます。
    何しろ、初出場した20年前は1勝もできず、結果が出せずに終わってしまったのですから。
    西野監督は、「4年後はベスト8もいける」とおっしゃっていたそうですが、その時は、記録にも記憶にも残る大会にしてほしいと願ってやみません。


    ↓とりあえず貼っておきます。例の個所は3分33秒から。



    ↓とりあえずこちらも。何の曲かって? 聞けばわかります。

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