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ジャニーズ性加害問題で思い出す「あの」事件

この2週間というのは、ネットニュースやワイドショーでは、ジャニーズ関連の話題でもちきりです。
本来であれば私も皆さんと同様、ジャニーズを擁護する気もなかったのですが、例の会見から2週間の動きを見ていますと、なんだかジャニーズを擁護したくなるというか応援したくなる、そんな心境にさせられます。
その理由の1つとして挙げられるのは、ジャニーズにだけ責任を負わせているマスメディアの存在です。
これはもう、私自身が説明する必要もないでしょう。
昨年は統一教会をあれほど叩いておいて、当の自分たちは数十年にも及ぶジャニー喜多川氏の性加害を黙認していた。
これにはさすがに、呆れかえるほかはありません。
そんなマスメディアは、ジャニー喜多川氏の性加害が表向きになると、一斉にジャニーズを袋叩き。
いったい彼らの善悪の基準はどこにあるのかと、疑いたくなってきます。
そして何より私が驚いたのは、サントリーの新浪社長の朝日新聞でのインタビュー記事です。
16日のインタビュー記事によれば「今後数カ月の間に事務所の体制が改善されなければ、所属タレントが出演する番組のスポンサーを降りる可能性を『あり得る』と発言した。」(Yahoo!ニュースより)そうです。
まあ、こういう人権問題が明るみにでれば、それも致し方がないでしょう。
しかし問題は、それ以前の9月12日のブルームバーグにおけるインタビュー記事です。
それによると彼は今後、中国での事業拡大を計画していると答えているのです。
もう勘の良い方ならお気づきでしょう。
そう、中国といえば新疆ウイグル等で人権弾圧を繰り返している国家です。
「性加害」という人権問題を理由に番組のスポンサーを降りるのであれば、中国が行っている人権弾圧はそれ以上です。
にもかかわらず、中国での事業は拡大する。
これも先ほどの繰り返しになりますが、この社長の善悪の基準はどこにあるのか、と言いたくなります。
ただしこれに関しては、なにもその新浪社長に限ったことではないかもしれません。
今回の性加害を理由に、ジャニーズとのCM契約を解除する企業も多数存在しています。
そんな企業の中で、中国への事業推進を計画している企業はいくつあるのか、とても気になるところです。
こういう相関図を見ていると、結局のところ、ジャニーズというのは企業にとっては都合のいい金づるだったのではないか。
そのジャニーズが、金づるとして使い物にならなくなったから、企業もメディアも平気で切り捨てる。
そんな気がしてならないのです。
それが証拠に、性加害以上の人権弾圧を繰り返している中国に対しては事業拡大を継続する。
それはまだ、中国は金づるとしては十分機能しているからです。



ところで、私はこれら一連の流れを見ていると、あの2年前の森喜朗元総理の女性蔑視発言を思い出してしまいます。
あれに関しては金銭問題は絡んでいませんが、構図としては、今回のジャニーズ問題と酷似しています。
あの女性蔑視発言の半年後には、北京でオリンピックが開催されるのです。
本来であれば、あの発言で「人権ガー」と騒いでいた連中は、「今度の北京五輪はどうするんだ?」と政府に疑問を呈しなければならない立場でした。
何故なら、中国には女性蔑視発言以上の人権問題を抱え込んでいるからです。
ところが、森喜朗氏を叩いた人たちは、そのことに関してはほとんど触れようとしません。
それどころか、欧米諸国が人権弾圧を糾弾しなければ、日本政府は何食わぬ顔で北京五輪に参加しようとしていたのです。
結局、最終的には「政府要人は北京に送り込まない」という結論に至ったわけですが…
当然、あの森喜朗発言は許されるわけはありません。
しかし、それ以上の人権弾圧に関してはほとんど無関心。
これ、現在のジャニーズ問題とまったく同じ構図なのです。
性加害は人権問題として糾弾すべし。
ただし、それ以上の隣国の人権弾圧は黙認せよ。
私には今回のジャニーズ騒動は、2年前の森喜朗騒動のデジャビュを見ているような気がしてならないのです。
企業もメディアも、どうせ人権侵害を認めるのであれば、いっそのこと、被害状況の大きい中国よりもジャニーズを応援してしまおうか、そんな思いに駆り立てられてしまう今日この頃です。


Deja Vu/Crosby, Stills, Nash & Young
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スポーツと政治、チーム運営の違い

少々古い話題になりますが、昨年(2022年)の年末に開催されたサッカー・ワールド・カップ・カタール大会では、女性審判員の起用が話題になりました。
なるほど、昨今叫ばれている男女共同参画を考えれば、当然といえば当然かもしれません。
その一方で、今の時代であるがゆえに、あのカタール大会では奇妙な違和感を覚えたのも、これまた事実であります。
おそらく皆さんの中にも、あのカタール大会には違和感を覚えた方も少なくないはず。
いえ、むしろ、日ごろジェンダーギャップがどうとかこうとか叫んでいる方々だったら、当然、その違和感に気づくはず。
もし気づかないのであれば、もうジェンダーギャップだの、男女共同参画だの言わない方がいいかもしれません。
そうです、私があの大会で感じた違和感というのは、女性審判員がいる一方で女性監督は1人もいない、ということです。
「コイツ、何を言ってるんだ」と思われるかもしれませんが、よくよく考えてみてください。
男性チームの男性監督はもちろんのこと女性チームの男性監督は存在します。
まれに女性チームの女性監督も存在しますが、それ以外の女性監督というのは存在しないのです。
これは男女の比率から考えれば、女性監督は圧倒的に少ないということになります。
さらに言えば、男性チームの女性監督というのは、ほぼゼロです。
これほど共同参画を叫ばれているのに、この現象はどう説明するのか?
もしかして、女性はリーダーや指導者、あるいは現場監督には向いていない?
いや、こんなことを書けば、瞬く間にバッシングの嵐です。
しかし、この差異こそがチーム運営の面白いところ。
同じチーム運営でも、スポーツチームを運営するのか企業経営チームを運営するのかで、その方針は大きく変わってくるんですね。
例えば、同じチーム運営でも、企業や国家や地自体の運営となってくると、そのイメージ戦略というのも、重要なウエイトを占める場合があります。
企業のトップや重要なポストに女性を据える、政府官僚の重要なポストや大臣に女性を据える。
これだけで、「あそこの企業は、男女のバランスがいい」「あそこの国(自治体)は、女性の起用に積極的だ」といった具合に、各方面から好印象をもたらしてくれるのです。
そういった意味では、ジェンダーギャップ指数126位だとか、G7「男女共同参画」大臣会合に日本だけが男を派遣するだとかは、イメージ戦略としては最悪なのです。



一方、スポーツのチームを運営するとなると、そうはいきません。
なぜならスポーツ・チームの評価は、結果が全てですから。
勝つか負けるか。
勝者か敗者か。
この究極の二択から常に前者を求められるのが、スポーツ・チームの指揮官なのです。
それゆえ、現実的に見て「女性の指揮官ではチームは勝てない」と判断されれば、イメージ戦略など無意味になってくるのです。
そう考えると、企業の生き残り戦略、あるいは国家の生き残り戦略でも同じようなことが起きる可能性もあるのです。
そうです、国家や企業が「勝つか負けるか」の2択、あるいは「生きるか死ぬか」の究極の2択に迫られた場合、イメージ戦略など無意味なものとなってくるのです。
そのことを最も象徴したのが、2016年のアメリカ大統領選挙だったと思われます。
あの当時の大統領選挙は、共和党のドナルド・トランプ氏と、民主党のヒラリー・クリントン氏の一騎打ちでした。
そして世界中の誰もが、アメリカ史上初めてとなる女性大統領誕生を確信していました。
ところが、ふたを開けてみれば、トランプ氏が当選です。
これもやはり、アメリカという国が置かれた立場を、如実に物語っているようでなりません。
あの国は、私から見れば非常に特殊な国で、民主主義vs社会主義、いや、もっとわかりやすく言えば文明国vs非文明国という対立で、常に文明国のリーダーとして非文明国と対峙してきました。
ちなみにここでいう文明国とは、憲政史家・倉山満氏が言うところの「人を殺してはいけないという建前が通用する国」です。
人を殺してはいけないという建前が通用しなくなると、その国は必ずと言っていいほど独裁国家となるのだそうです。
そして、さらにその独裁国家は、力による現状変更を肯定するのです。
なにしろ彼らは、人を殺してはいけないという建前が、通用しないのですから。
アメリカは冷戦時代からこのかた、文明国のリーダーであり最後の砦です。
アメリカが非文明国に膝まづくことは文明国の敗北を意味する、といえば大げさかもしれませんが、それぐらい文明国としてのアメリカの役割は重要であり、常に「勝つか負けるか」の2択の外交を強いられてきた国だと思っています。
つまりアメリカ国民は、時代が女性を求めているとは理解しつつも、究極の2択で考えた場合、女性大統領では勝てないと判断したからこそ、彼らはトランプ氏を選んだのです。
もちろん、あの時のトランプ政権は、必ずしも成功したとは言い切れません。
しかし、アメリカという国の立ち位置を考えれば、国民がトランプ氏を選んでしまったのも、致し方なかったと思っています。

では、我が国・日本はどうでしょうか?
これはもう、世界地図か地球儀を眺めれば、一目瞭然です。
私たちの目と鼻の先には中国があり、ロシアがあり、北朝鮮があります。
彼らはみな、非文明国です。
さらに朝鮮半島を南下すれば、いつでも反日大国へと変貌を遂げてもおかしくない韓国がいます。
もはや、東アジアの中では、日本と価値観が共有できる国といえば、台湾ぐらいしかありません。
その台湾ですら、いつ中国に呑み込まれてもおかしくない状況です。
そうです、地政学的に見て、私たちは決して安泰とは言い難い状況なのです。
先日発表されたジェンダー・ギャップ指数では、日本は過去最低の126位でした。
これはどうも、政治・経済でポイントを落としてしまったことが、大きな要因と言われています。
しかし、私たちが置かれている状況は、文明国に囲まれながら生活をしている北欧諸国とは違います。
非文明国や反日大国に囲まれている私たちは、常に究極の選択を迫られている状況、といっても過言ではないのです。
それゆえ、安易なイメージ戦略で政治や外交を行えば、それは命取りになりかねないのです。
むろん、今の岸田政権には、及第点をあげられるような状況ではありません。
むしろ、政権交代でもしてほしいぐらいです。
だからと言って、「ジェンダーギャップ指数の点数稼ぎ政権」だけは、勘弁してもらいたい限りです。


La Copa De La Vida/Ricky Martin

森喜朗の失言で分かった、本当に怒らせるとヤバい奴ら

今からちょうど2年前(令和3年2月3日)になるのでしょうか、元東京五輪会長・森喜朗氏の女性蔑視発言が大問題になりました("大"をつけたことは、後々重要になります)。
この発言に関しては、多少の温度差もあったようで、とくに保守・右翼と呼ばれる人たちからは、「"切り抜き"記事もはなはだしい」とのことでした。
ようは、森氏を貶めたい連中が自分たちの都合のいい部分だけを切り抜いて、あとから「差別だ! 差別だ!」と騒いでいる、ということですね。
でも、本当にそうでしょうか?
あの発言の全文を読んだ限りでは、完全に"アウト"です。
むしろ、切り抜いてくれたおかげで助かった、と痛感するほどです。
それゆえ私などは、あれは叩かれて当然だと思っています。
しかしこの問題、まだまだ続きがあります。
あの発言から1年後には、中国は北京で冬のオリンピックが開催されるのです。
そうです、新疆ウイグル自治区での人権弾圧が問題になっているあの国で、です。
本来であれば、森氏を徹底的に批判した野党議員や女性議員、さらには人権団体などは、「北京五輪ボイコット!」を叫ばなければならない立場なのです。
ところが、支那国の人権弾圧が欧米の議員らが問題にするまでは、野党を含む政治家たちは、何食わぬ顔をして北京五輪に参加しようとしていたのです。
これはいったい、どういうことか?
女性を侮蔑したといって、1人の後期高齢者を国民的にリンチしておきながら、隣の国で起きている人権弾圧に関しては総スルー。
私に言わせると、よく欧米のメディアから「アソコの国の善悪の基準は、一体どうなっているんだ?」と叩かれなかったなと、感心する次第です
結局、北京五輪には政府の要人は出席しないという方向で決定したようですが。



ところで、その森氏の問題発言と中国の人権問題のスーパーな温度差と似たような事例が、つい最近もおこりました。
しかもそれは、なんと森喜朗氏ご本人が、わざわざ起こしてくれたのです。

森喜朗・元首相は25日、ロシアによるウクライナ侵略を巡り、「(日露関係を)せっかく積み立ててここまで来ているのに、こんなにウクライナに力入れちゃっていいのか。ロシアが負けるということは、まず考えられない」と述べた。東京都内で開かれた日印協会の式典のあいさつで語った。


引用元:読売新聞オンライン


私がこのニュースを知ったのは、朝のNHKのニュースでした。
「森さん、またアホなのことを言ってるな」「こりゃ今日一日、この問題でもちきりだぞ」と思ったものですが、なんと、この話題を取り上げたのは、その朝のNHKのニュースの数分間だけでした。
あとはワイドショーを含めたどの報道番組も、この発言に関しては、まったく取り上げていません。
例の女性蔑視発言があれだけ大問題になったのに、このロシア擁護発言は、まるで何事にもなかったような静けさです。
もちろん、今は坂上忍氏が司会をしていた『バイキング』がすでに終了していることや、その当日の大雪報道も影響しているものと思われます。
それにしてもです、まがりなりにも森氏は、総理大臣経験者です。
そんな彼がこのような発言をすれば、もはや国際問題にもなりかねません。
にもかかわらず、この女性蔑視発言との温度差はいったい何なんでしょう?

そういえば以前、憲政史家の倉山満氏が、自身のYouTubeチャンネルでこんなことを発言されていました。
「現在の左派界隈は、長年続いた安倍政権の反動で、"フェミニスト"と呼ばれる極左連中が、リベラルな連中を『ネトウヨ!』といって駆逐する事態に陥っている」
歴史学者の呉座勇一氏が、『鎌倉殿の13人』の時代考証担当から降ろされたのも、フェミニストの逆鱗に触れてしまったからではないかとも噂されています。
そうなってくると、森氏の女性蔑視発言と、その後の北京五輪問題や森氏のロシア擁護発言の温度差も、なんだか恐ろしくなってきます。
今にして思えば、令和3年の森氏への国民的リンチ発動は、「私たち(フェミニスト)を怒らせるとこうなるよ!」ということへの見せしめのような気がしてなりません。


Scream Of Anger/Europe

統一教会問題よりも気になる、AV新法スピード可決の裏側

近い将来、ありとあらゆるセックス産業が取り締まりの対象になる。
そんなことをいったら、少々誇大妄想が激しいでしょうか。
もちろん、根拠があります。
そのきっかけは、2022年に施行された「AV新法」です。
この新法は、AVというセックス・ワークに関して、かなりテコ入れされた法律でありますが、やはり、一度そこに小さい穴をあけてしまうと、そこから先は、もう手が付けられないぐらいに、その穴は大きく広がっていきます。
「ここまでやったんだから、もう少し踏み込んでもいいよね」といった具合に。
そうやって、もう少し踏み込んだ法律が基準となり、「ここまでやったんだから、もう少し踏み込んでもいいよね」が繰り返される…。
これは以前記事にさせていただいた『領土問題と夏休みの宿題の意外な関係』の原理と同じです(№400を参照)
そうやって、私たちが気づかないうちに、その穴はどんどんと大きくなり、いずれはアダルトビデオそのものが取り締まりの対象となり、やがてそれが2次元に広がり、果ては風俗をはじめとするセックス産業そのものにまで広がる、なんてことにもなりかねないのでは、と思っています。

実はこのAV法案、一見、AV女優の権利を守るようにも見えますが、現場からの意見からすれば、かなり迷惑な法案なのだそうです。
しかもその困惑は、AV女優本人からも聞こえてくるのだとか。
では、そもそもなんでこのような迷惑極まりない法案が通ってしまったのか。
YouTubeチャンネル『別冊!ニューソク通信』によれば、そもそもこのAV新法が施行された背景は、AV女優そのものを職業として認めない少数派のフェミニストたちが、ギャーギャー騒いだからだそうです。
つまり、少数派だけれども「声が大きかったから」この法案が通ってしまったということだそうです。
しかし、よくよく考えてみると、その経緯に関してはかなり不気味なものがあります。
少数派のフェミニストたちがギャーギャーと騒ぐ、つまり彼女(彼)らの声が大きかったから、この法案が通った。
だとすると、ここでいう声の大きさとは、決して支持者の数ではないということです。
ではいったい、その「声の大きさ」のバロメーターは、一体なにで測るのでしょうか?
「声の大きさ=支持者の数」でないとすればそれは「声の大きさ=支持者の質」ということになります。
では、そのAV新法をも強引に可決させてしまう「質」を持た支持者とは、いったいなにもなのでしょうか?



ところで、2022年の後半は、そのほとんどが統一教会問題で明け暮れたと言っていいでしょう。
もちろん、サッカーW杯は別問題として。
その統一教会に関して、あの鈴木エイト氏は『News Socra』のインタビューで、「影響力は大したことない」とおっしゃってました(№432を参照)。
あの鈴木エイト氏をしても、統一教会の影響力は「大したことない」のです。
ところが、AV新法に関しては少数派でありながらも、絶大なる影響力のある(声が大きい)フェミニストたちによって、その新法が通ってしまいました。
はたして、少数派でありながら、政府をも動かしてしまう彼女(彼)らの、その影響力の源は何なのか?
私に言わせると、統一教会よりもそっちの方が気になって仕方がありません。
このままだと私たちの知らない間に、フェミニストたちの「歴史への復讐政策」がどんどんと進み、100年後には日本男性全員が去勢させられる。
…なんてことにはならなければいいのですが。



Pornograffitti/Extreme

新しい景色、見せてくれました!

4年前の記事で書いたように、日本代表が本気を見せてくれました!(№165を参照)
正直言って私などは、ドイツに勝ったときなどは、「あとはもう、全部負けてもいい」なんて思ってしまいました。
ですので、のちのコスタリカの敗戦なんて、私にしてみれば想定内です(試合内容は想定外)。
ところが、まさかスペインにまで勝ってしまうとは。
いやぁ、世の中、こんなことってあるんですね。

ところでこのスペイン戦の勝利で、がぜん期待が湧いてくるのがベスト8です。
「新しい景色が見たい」などと皆さん期待しているようですが、でもね、ちょっと待ってくださいよ。
今回のグループ・リーグって、日本代表にとってはまさに異次元の領域ではなかったですか?
それは過去の対戦相手を振り返ってみれば一目瞭然。
それまでの予選リーグの対戦相手は、おおざっぱに言えば「先鋒・中堅・大将」でした。
ところが今回に限っていえば、「大将・中堅・大将」です。
これを受けて、元日本代表の北沢豪さんなどは「FIFAに抗議してやろうか」と言ってたぐらいですから。
新しい景色が見たい?
いやいや、今回のグループ・リーグそのものが、今まで見たことのない景色ですわ。
そもそもドイツ・スペインなんて、日本が順調に決勝トーナメントを勝ち進んでいけば、ベスト8かベスト4で対戦してもおかしくない相手です。
日本代表はそれに勝ってしまってるわけですからねぇ…。
コスタリカにこそ負けましたが、他の2試合が決勝トーナメントだったら、次の試合は決勝戦になるはずなんです、本来であれば。
多分、そのときの相手はブラジルになるのでしょうか?
それはともかく、日本はもうすでに「新しい景色」を見て、そこで勝ってしまってるわけですから、たとえ次の試合で負けたとしても、堂々と胸を張って帰ってきてもらいたいです。
そのとき、空港で選手たちを待っている掛け声は、間違いなく「ブラボー!」ですね。



ところで、「来年のことを言えば鬼が笑う」などといいますが、ここで鬼が大爆笑する話を。
今年の新語流行語大賞は「村上様」です。
ところが、それが決まった直後に、日本代表がスペインを撃破してしまいました。
そのため、本来はいるはずだったW杯関連の流行語は、大賞から漏れてしまいました。
「ブラボー!」「ドーハの歓喜(奇跡)」「ジャイアントキリング」「手の平返し」「VAR」、そして「新しい景色」…。
おそらく、これらの新語・流行語は、来年に持ち越されることでしょう。
早くも、来年の年末が楽しみになってきました。


Men Without Hats/Pop Goes The World

「玉川砲」で見えたテレビ報道の恐ろしさ

安倍晋三元総理銃撃事件から、早いもので3か月が過ぎました。
その事件に関してテレビの報道は、相変わらずの統一教会一色です。
しかしこの3ヶ月間の報道を目の当たりにしていますと、どうしても疑問に思うことがあります。
それは、どうしてこうも統一教会にばかり片寄った報道をするのか? ということです。
もちろん統一教会問題は、それはそれで報道すればいいわけですが、その報道のあり方があまりにもアンバランスなのです。
安倍元総理銃撃事件に関しては、統一教会以外にも、問題点はいくつかあります。
そのひとつが、警備の問題です。
日本の警察史上最大の汚点ともいうべき奈良県警の大失態を、なぜ報道番組は追及しないのか?
本来であれば、このような事態が起これば、社会部の記者たちが毎日のように警察庁なり奈良県警に押しかけて、「これはいったい、どういうことだっ!」と、問い詰めるものだそうです。
にもかかわらずテレビ等の報道は、そのことに関しては一切追及していません。
安倍元総理の致命傷に関しても、疑問が残ります。
解剖の結果、奈良県警と奈良医大とでは、その見解が食い違うのだそうです。
それゆえ、この暗殺劇には"スナイパー説"や"複数犯説"まで出てきています。
私は俗にいう「陰謀論」の立場は撮りませんが、しかし、このような「陰謀論」が飛び出してくる背景に関しては、理解できます。
つまり報道そのものが、あまりにもバランスを欠いているから、このような"スナイパー説"や"複数犯説"、果ては"中共黒幕説"のようなものまで飛び出してくるのです。
ではここで最初の疑問に話を戻しましょう。
なぜ、テレビ等の報道は、このような片寄った統一教会報道ばかり繰り返すのか?
実は先日、その謎が解けてしまいました。
それは去る9月28日、テレビ朝日の『羽鳥慎一のモーニング・ショー』での、例の玉川徹氏の発言がきっかけでした。
安倍元総理の国葬儀における菅前総理の弔辞に「電通が関与している」と玉川氏がデマを流し、世間から大バッシングを食らったという、例の発言です。
しかし私がある意味腑に落ちた発言は、その電通云々の発言ではなく、その直前の発言です。

僕は演出側の人間ですからね。テレビのディレクターをやってきましたから。それはそういう風に作りますよ、当然ながら。政治的意図がにおわないように、それは制作者としては考えますよ。


引用元FRIDAY DIGITAL|テレビ朝日・玉川徹氏の電通発言にテレビ業界が”驚愕”したワケ:


つまりこの玉川氏の発言からは、「テレビ報道というのは偏向報道ありき。それをそ視聴者に臭わせないように作っている」ということになってしまうのです。
なるほど、つまりこの統一教会一色という片寄った、あるいはアンバランスな報道の裏側には政治的な意図が絡んでいた、ということになるのです、玉川氏の発言をそのまま解釈すれば。
もうこうなってくると彼の失言はもはや失言とは呼べず「内部告発」、もっといえば「玉川砲」とも呼びたくなってきます。



ところで、令和4年8月22日配信の『News Socra』のインタビューで、ジャーナリストの鈴木エイト氏がとても興味深いことを語っておられました。

鈴木 実はたいしたことがないと思う。たいしたことがない団体なのに、影響力があったように思われていると思う。その程度の団体がこれだけ世の中にはびこり、「わけのわからないカルト教団が政治を操っている」という認識はちょっと違うと思う。

 -意外とエイトさんの見方は大きな影響力はないということか。今のマスコミ報道は「すごい黒幕」みたいな報道だが。

 鈴木 そういう意図をもっているメディアは少ないのではないか、報道の受け止め方の問題だと思う。


引用元:News Socra|民主党政権でも、統一教会への捜査が止まったワケ


なんと、長年にわたり統一教会問題を言及されてこられていた鈴木エイト氏でさえ、その影響力は「たいしたことない」のだそうです。
この鈴木氏の見解に先ほどの玉川氏の内部告発を照らし合わせると、とても恐ろしい事実が浮かび上がってきます。

たいした影響力を持っていないカルト教団体が、テレビの報道によってまるで「諸悪の黒幕」のように人々に印象を与え、教科書に載るほどの奈良県警の歴史的大失態が、国民の記憶から完全に消去されてしまう。
しかもそれが玉川氏の言うところの、「政治的な意図をもった」報道によるものだとしたら、これはもはや報道ではなく洗脳レベルです。
しかもカルト教団の洗脳は信者が対象ですが、テレビによる洗脳は公共の電波を使っているため不特定多数です。
なんだか今のテレビがやっていることは、統一教会よりも恐ろしいような気がしてきました。



Let's Talk About Me/ The Alan Parsons Project

舞妓文化も良し悪し

本来ならばこの記事は、7月の参院選前後に投稿する予定だったのですが、例の安倍元総理の銃撃事件で吹っ飛んでしまいました。
ですので、この場を借りて、改めて投稿したいと思います。



だいぶ前になるのですが、元・舞妓さんのセクハラ体験ツイートが話題になったようです。
なんでも彼女、16歳の舞妓時代に、お客さんのお酒の接待をしたりわいせつな行為を強要されたりと、かなりの嫌がらせを受けていたとか。
これを受けて、いろいろな分野で物議を醸したらしく、なかでもこの手の問題にとてもうるさい、某フェミニストなどは「女性の人権と伝統とどっちが大事なんだ!」とコメントしたとか。
ただ、関係者の話によると、最近は舞妓さんでも、未成年の扱い方にはとても神経をとがらせているそうです。
未成年の飲酒はもちろん、お客さんからのわいせつ行為に関しも、かなり厳しく目を光らせている様子。
とはいっても、それがどこまで行き届いているのかは不透明なところがあり、厚生労働省も事態を把握していない様子。
この問題、今だにちょいちょい尾を引いているようで、つい先日も、この手のニュースをネットで見かけました。
はたしてこの問題、今後どうなっていくのでしょう?
これからは、現代社会の基準と帳尻を合わせながら、「文化」として舞妓さんは残っていくのでしょうか?
それとも、これを機に人権団体らの声が大きくなりすぎて、舞妓文化は衰退していくのでしょうか。
とりあえず、多少なりとも地元愛を自覚している私としては、数年後の旅行パンフレットに、舞妓さんの姿が無くなっているのを見ると、なんだか寂しく思えます。
今となっては、京都の花街で、変なデモ隊が押しかけてこないことを祈るばかりです。

とは言うものの、そもそもなんで京都花街の舞妓さんたちは、16歳からなんでしょう。
それはどうも、昔の成人の年齢と関係しているのではないかと思われます。
昔は「元服」という儀式があって、そこで11歳~16歳の男子を成人と認めていました。
これは女子でも同じのようで、山田耕作の『赤とんぼ』の歌詞の中にも、「姉やは15で嫁に行き」というフレーズが出てきます。
さらに、プッチーニのオペラ『蝶々夫人(マダム・バタフライ)』でも、主人公の蝶々さんが米海軍士官・ピンカートンの元に嫁いだ年齢は15歳です。
このことからも分かるように、昔は、15・16歳ですでに大人扱いだったのです。
そんな名残から、今の舞妓さんの年齢も16歳から、ということになったものと思われます。



ところで、20年ほど前に、テレビのバラエティ番組の企画で『ガチンコ・ファイトクラブ』というのがありました。
この企画、街中の不良少年たちを集めて、彼らをプロボクサーにさせようと行く企画です。
今では到底考えられない企画ですが、放映当時は、メチャクチャ視聴率を稼いでいたようです。
もちろん、私も見ていました。
しかし、私がその企画に登場する不良たち、すなわちヤンキーたちを見て驚いたのは、その年齢です。
彼らヤンキーのうち、その半分以上は、20歳を超えていたのです。
『3年B組金八先生』や『スクール☆ウォーズ』を見ていた世代からすると、ヤンキーの年齢は、どんなに高くても18歳までだったはずです。
それがまさか20歳のヤンキーがいるとは、ちょっと驚きです。
実際、ゲストコーチとしてこの企画に参加していた辰吉丈一郎氏も、彼らに対し「20歳過ぎてもヤンキーやっているのも、どうかと思うけどな…」などと、チクリと刺すような言葉を投げかけています。
さらにいえば、彼らの言葉使いもメチャクチャです。
この企画でトレーナーとしてレギュラー出演されていた、元不良でヤンキーの竹原慎二さんは、自伝の中で「俺らの若いころは、たとえ不良であっても、目上の人にあんな言葉使いはしなかった」と、回想されていました。
この『ガチンコ・ファイトクラブ』放映と同時期に社会問題になっていたのが、成人式で暴れる若者たちです。
あのニュースを見て、母親などはビックリすると同時に呆れかえってもいましたが、『ガチンコ・ファイトクラブ』で免疫力ができていた私などは、あのニュースを見ても、さほど驚きませんでした。
あの番組で20歳のヤンキーの存在を知ってからは、「成人式で暴れる? そういうやつもいて当たり前」と感じるようになっていたのです。
そして現代、YouTubeなどでプロの格闘家に挑戦する、自称"ケンカ自慢"のヤンキーたちは、そのほとんどが20歳を超えています。
いったいこれはどう言うことでしょう?
今の感覚で「16歳で接客させる舞妓文化はおかしい」というのであれば、昔の感覚を持つ私としても、20歳を超えたヤンキーがいること自体、異常としか言いようがありません。。
昔は15・16歳で大人としての自覚を植え付けられいましたが、今ではその年齢では保護観察です。
しかも最近では、その保護観察もますます過保護化しているように思えます。
そのツケが、20歳過ぎてもヤンキー化して、成人式でも暴れる若者を生んだのではないかと思えてしまいます。
そう考えると、16歳で接客される舞妓文化のメリットを、"強引"に挙げるとするならば、やはり、この年齢から大人としての自覚を植え付けることができる、ということでしょうか。
これはすなわち、自立したひとりの人間としての自覚も身に着けることができる、ということでもあります。
舞妓文化も、いいところだけを残しながら、これからも生き残ってほしいと、地元民としてはひしひしと思うわけです。


Over Your Shoulder/Dinosaur Jr.