【映画レビュー】ルイスと不思議な時計(2018年:アメリカ)
原作 ジョン・ベレアーズ
監督 イーライ・ロス
脚本 エリック・クリプキ
出演 ジャック・ブラック
ケイト・ブランシェット 他
<<<『ルイスと不思議な時計』のあらすじ>>>
両親を亡くし孤児となった10歳の少年ルイスは、魔法使いの叔父ジョナサンが住む古い屋敷に引っ越す。ほどなくしてルイスは、ジョナサンより優れた力を持った魔女である隣人のツィマーマンとも知り合いになり、彼らは同じ屋根の下で暮らすことになる。しかしある日、ルイスは屋敷の中に世界を破滅に導く邪悪な力を持つ時計が隠されていることを知り、二人と力を合わせて時計を見つけ出すべく奮闘する
引用元:Wikipedia|ルイスと不思議の時計
原作は1973年のジョン・ベレアーズによって書かれた小説『壁のなかの時計』です。
ちなみにこの小説、例の『ハリー・ポッター』の元ネタになった小説とされているそうで、確かに、言われてみれば、それなりの要素が盛りだくさん。
主人公の住む家がひとつの生き物のようになっているあたりは、ボグワーツの魔法学校のようですし、そこで魔法の修行をしていくあたりも、まさに『ハリー・ポッター』。
しかも、魔法の修行から離れると、その主人公は学校では虐げられているというのも、ハリー・ポッターの生い立ちを連想させます。
さらに『ハリー・ポッター』の、魔法の杖から光線ビビッってあたりも、この映画ではそれに近いシーンが見られます。
ちなみに、両親が死んでしまったという設定は、完全に一致しています。
J・K・ローリングさんも、この小説からかなりのインスパイアを受けたんではないでしょうか。
それだけに、大人から子供まで楽しめる仕掛けがたくさん用意されている映画です。
DVDの吹き替え版では、主人公のルイス少年には『名探偵コナン』でお馴染みの高山みなみさん。
彼女の起用は人によって賛否が分かれるところですが、私はなかなかのハマり役だと思っています。
しかもクレジットをみなくても、すぐに「コナンの声」とわかっちゃうほど、高山ワールド全開の名演ぶり。
さらに脇を固める声優陣も豪華でして、ジャック・ブラウンの吹き替えには佐藤二郎さん、ケイト・ブランケットの吹き替えには宮沢りえさんが担当しています。
ジャック・ブラウンと佐藤二郎はどことなく体格的にも似たところがあったのですが、意外にも、ケイト・ブランケットと宮沢りえは雰囲気が似ているんですね。
本編のほかに、個性的な吹き替えにも注目かも。
↓予告編で、いきなりあの人の声が聞けます。
28年前のパンデミック
体調が万全ではないのにライブハウスをハシゴしてしまったがために、その人が持っているウイルスが次から次へと人に感染。
これ、一歩間違えればパンデミックです。
…と、そう思った矢先に、WHOからのパンデミック宣言。
実は私自身も、今から28年前に、自らの行動が原因でパンデミックを引き起こし、関西地方を破滅へと導いていたかもしれないのです。
…といえば、かなりオーバーになりますが、その現在起こってしまった「クラスター発生」の報道を見て、私はその28年前の出来事を、思い出さずにはいられないのです。
その28年前といえば、私は4年近くものフリーター生活を経て、初めて就職した時期でした。
もちろん、当ブログでも再三再四書かせていただいているように、私自身がこういう性格ですから、なかなか周りに溶け込むことはできません。
そんな私を見るに見かねた上司や同僚が、「何とかコイツの性格を変えてやろう」と"教育"してくるわけです。
ちなみにその時の会社は、まだ出来立てのホヤホヤの会社ですから、上司といっても、私と2つか3つしか違いません。
そんな彼らの"教育"といえば、嫌がる私を無理やり飲み会に連れて行ったりカラオケに連れて行ったりです。
そしてその場で、しつこいぐらいのお説教が始まるわけです。
ようするに、彼らの根がものすごくお節介、といえば聞こえがいいですが、それはもうお節介を通り越してパワハラにちかいものがありました。
「お前がいるから俺たちは出世できないんだ」なんて、今にしてみればほとんどパワハラですし、「お前、何が楽しくて生きているんだ」なんて大きなお世話です。
そんな傷つくようなことを平気で言われたりしましたが、当時の私は、よほどお人よしで言い返す根性がなかったのでしょう、「これはイジメではない、教育だ」と思い込んでいました。
しかもこともあろうに、その当時は「色々世間の事を教えてくれてありがとう」なんて、無理やり感謝の念をブッ込む始末。
本当に我ながらお人よしです。
ただ、その会社をクビになるころには、何か吹っ切れたのか、その上司たちに対しては、もう怒りの感情しかこみ上げてこなくなりました。
今でも、あの時の事を思い出すと、怒りを通り越して殺意すら感じる時もあります。
もちろん、だからと言って本当に人を殺すことは怖くてできませんが。
ちなみにではなりますが、そのことに関連した事柄を№79に書かせていただいたので、もしよろしかればご覧になってください。
さてそんな状態の私だったわけでありますが、ある日、風邪をひいてしまったことがありました。
ただ風邪といっても熱はありませんでしたが、それでも喉は痛く、咳は出るわ鼻は出るわカラダはけだるくてしんどいわで、さんざんな状態でした。
そんな時、例のごとくその上司たちが「今夜の見に行こう」と誘ってきたのです。
ただでさえ彼らと飲みに行くのが気が進まないのに、体がこんな状態です。
「ちょっと風邪気味でしんどいから」と言って断ろうとしたら、その上司の1人が「大丈夫や」と一言。
結局、次の日が休みということもあって、私はその飲み会に付き合うことにしました。
本当に今考えれば、お人よしです。
しかもそのときは、店は1件で終わるだろうと期待していたら2件目をハシゴされ、さらにカラオケにまで連れて行かれました。
結局その日は、深夜まで突き合わされました。
その後、私の体は奇跡的に回復し、大事には至らなかったわけですが、もしあの時、私がウイルス性の変な病気を患っていたらと思うと、ぞっとするものがあります。
私はあの時、店を2件ほどハシゴして、その後カラオケにまでいているのです。
そうなれば、もはやクラスター発生、もしくはパンデミック確実です。
もしそうなっていれば、一体、誰が責任を取るのでしょう。
もちろん、私のお人好しな性格が原因でそうなってしまったわけではありますが、今だと、そのクラスター発生やパンデミックの原因は「パワハラ」ということにもなりかねません。
そんな経験があるからでしょうか、現在のコロナウイルスにおける大阪のライブハウスの件を知ったときには、あの時のことがフラッシュバックのようによみがえってくるわけであります。
むろん、その大阪のライブハウスへ行かれた方は、パワハラなのかどうかは定かではありません。
ただ、今現在私が言えることは、「先輩や上司の飲み会を嫌がるなんて言語道断、一歩間違えば懲罰もの」といった時代にコロナウイルスみたいなのが流行らなくてよかった、ということでしょうか。
あんな時代にコロナウイルスが流行っていたら、間違いなくパンデミックで日本滅亡、なんてことも決して大げさではないかもしれません。
ところで、現在イタリアでは中国についで感染者が広がっているようです。
その原因はもしかして、「歌って、食べて、恋をして」といったイタリア人の軽くて情熱的ななノリが、ああいった拡大を招いているのかな、なんてことを想像してしまいます。
曲名: Infection/鬼束ちひろ
【映画レビュー】その男は、静かな隣人(2007年:アメリカ)
監督 フランク・カペロ
脚本 フランク・カペロ
出演 クリスチャン・スレーター
エリシャ・カスバート 他
<<<『その男は、静かな隣人』のあらすじ>>>
冴えない中年会社員ボブは職場でストレスを募らせ、ある日ついに拳銃に手を伸ばす。ところがその瞬間、同僚が突然銃を乱射しはじめる。女性社員バネッサが命を狙われているのを見たボブは、持っていた拳銃で思わず犯人を射殺。ボブは会社を救ったヒーローとなり、重役に抜擢されるが……。
引用元:映画.com|その男は、静かな隣人
※)ネタバレ注意
映画全体の感想は後回しにして、私が特に気になったのは、オープニングで語られた主人公のモノローグです。
「男女平等論者は、男性を去勢させるまでそれを訴え続けるだろう」
昨年末だったでしょうか、男女の格差ランキングなるものが発表され、日本は過去最低の121位だったそうです。
何でもだいぶ前に読んだネットの記事によると、2009年ごろには日本はこのランキングで75位まで上がったそうなのです。
ところが日本の婦人団体みたいなものが「このランキングはおかしい! 統計し直せ!」と抗議した結果、一気に100位圏外まで落っこちたのだとか。
それ以降、日本は100位以上に上がったことがないのだそうです。
その記事の内容が本当だとしたら、日本のフェミニスト団体は、日本人男性が全員去勢するまで、男女平等を訴え続けるんじゃないか。
この映画のオープニングのモノローグで、ふとそんなことが頭をよぎりました。
もちろんこんなこと、自分でも馬鹿げているとは思うのですが。
さて、肝心の映画の方ですが、作品のオチとしてはもっともやってはいけないオチで、その"禁じ手"を堂々とやってしまった作品でありました。
ただ、この手のオチは、ある意味有効手段と言えば有効手段であるため、監督さんを始めとする作り手の皆さんも「してやったり!」と自己満足に耽られる作品です。
実際に、こうしてこの作品が企画として通ってしまったわけですから、この監督さんも観客に向かって思いっきりドヤ顔出来るのではないでしょうか。
ただ、裏を返せば、このような"禁じ手"を堂々とやってのけてしまうと言ことは、これはもう、作品そのものにすごく自信がないとできないことです。
そのためでしょうか、この作品にはそんな作り手の自信みたいなものがみなぎっていると言いましょうか、そう思わせてしまうのは、やはりクリスチャン・スレイターの存在感が大きかったからでしょうか。
とにもかくにも、それ以上書いてしまうと、ちょっとネタバレになってしまいそうなので、今回はこの辺でやめときます。
とりあえず、そんな作り手の自信が作品にみなぎっているからでしょうか、たとえオチが"禁じ手"であっても、個人的にはなかなかの力作との評価を下しているわけですが、皆さんはどう判断するか。
それはぜひ皆さんの眼でご確認ください。
ちなみに、主演のクリスチャン・スレーターといえば、若いころは美少年・美青年で名をはせていたようです。
そのころの彼の映画はほとんど見ていないので、あとで画像検索してちょっとビックリです。
tag : サスペンス映画 クリスチャン・スレーター
【レビュー】里見八犬伝(平成18年:TBS)
原作 滝沢馬琴
脚本 大森美香
出演 滝沢秀明
綾瀬はるか 他
前回紹介した角川版『里見八犬伝』とは違い、こちらは正真正銘の滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の原作をベースにした作品です。
もともとはTBS開局50周年記念として、平成18(2006)年のお正月特番として2夜連続で放映されたものです。
ちなみに、その年は戌年でした。
で、肝心の作品の方はどうだったかというと、これがなんと、このままテレビ放映だけで止まらせておくにはもったいないぐらいの出来栄えといいますか、まさに日本版『ロード・オブ・ザ・リング』。
…と言えば少しオーバーかもしれませんが、そのスケールのデカさを考えれば、「そう言いたくなる」といった方々も増えるのではないでしょうか。
それだけ、もともと期待していなかったこともあって、この作品の出来栄えは予想をはるかに上回るものでした。
あえて難を言えば、少々原作と異なる部分があった、ということぐらいでしょうか。
それを差し引いても、この作品は一級のエンターテイメント作品です。
さらに言えば、そのスケールの大きさもさることながら、その俳優陣も豪華絢爛。
主演の滝沢秀明(タッキー)を筆頭に、綾瀬はるか、菅野美穂、仲間由紀恵、小澤征悦、武田鉄矢、ともさかりえ、渡部篤郎、長塚京三、泉ピン子、小日向文世etc。
はっきり言ってこんなメンツ、大河ドラマでもそう見れるもんではありません。
しかも武田鉄矢と菅野美穂を悪役で起用するあたりは、まさに贅沢の極み。
まさにTBSさんよくやった、といったところです。
そんな出演者の中でちょっとユニークだったのは、角川映画版の『里見八犬伝』で、八犬士のうちの1人を演じていた京本政樹が、今回はちょっとした小悪党役で出演。
同じ『里見八犬伝』でも、新旧での役柄がこうも違うものかと。
ちょっと時代の流れを感じました。
さらに言えば、今となってはほとんどその存在すら忘れ去られている押尾学が、八犬士の一員として登場。
こちらも、超レアですね。
抜群な娯楽性に豪華な俳優陣。
これを単なるお正月特番の位置づけにしておくには、本当にもったいない。
そういえば先日の『パラサイト』のアカデミー賞受賞を受けて、日本にユーザーからは「日本映画は何をやっている!」という声も少なくありませんでした。
ただ、この『里見八犬伝』見る限りでは、TBSにできてなんで日本映画でこれができないんだと、疑問を呈したくなります。
もちろん、それには色々なスポンサー等の柵があるんでしょうけれど。
それにしても、もしハリウッド映画が、この作品を真剣にリメークすれば、本当に『ロード・オブ・ザ・リング』を超える作品になりそうです。
↓こちらが主題曲です。
日本嫌いがアメリカで成功するには
その発言とは「日本の文化が嫌になって渡米した」とのこと。
実はこの発言を聞いたとき、発光ダイオード(LED)でノーベル賞を受賞した、中村修二米カリフォルニア大学教授のことを思い出してしまいました。
彼もまた、著作権等、日本の会社のやり方に反発を覚え渡米して、米国籍を取得しています。
中村氏の経緯については私もよくわからないのであれなのですが、ただ結局のところ、この2人とも日本と日本人のアイデンティティが気に食わなくてアメリカ国籍を取得して、成功を収めた元日本人のようです。
そんな中村氏をテレビで見た母が、「この人、なんか偉そう」でした。
そして私が、そのカズ・ヒロさんをテレビで見かけたときのファースト・インスピレーションも、「ん? 中村さんと同じ匂いがするような…」でした。
もちろん「同じ匂い」というのは、母が言った言葉そのものなのですが。
そういえば以前の記事で、就労先の都合上、数年前まではよくリベラルな思想の方と知り合う機会が多かったことを書かせていただきました。
そんなリベラルな方々の中で、反天皇家を堂々と公言したのは、とりあえず3人だった、ということも書かせていただきました(№251を参照)。
当然その3人は、必然的に「日本の文化が嫌い」ということになってくるわであります。
さて、そんな私の経験から言わせていただくと、「日本の文化が嫌い」と豪語している奴らに限ってロクな人間はいない、というのが率直な感想です。
結局のところそういう連中というのは、日本の文化以前に、その人の性格の問題ではないかと思ってしまうほどです。
もちろん、サンプルデータが少ないので、少々説得力に欠けるのも事実ですが。
そんな「日本の文化が嫌い」という連中の中には、「自分は姿かたちは日本人だけど、心は日本人じゃなかった」なんていう人もいました。
しかもそれを言ったのは、60代のオッサンでした。
何と言ったらよいのでしょう、体の性別と心の性別が一致しない性同一障害なら聞いたことがありますが、体の国籍と心の国籍が一致しない「アイデンティティ障害」なんてのは聞いたことがありません。
もしそれに準ずる障害があるとすれば、適応障害になるのでしょうか?
もしそうだとしたら、日本文化が嫌いになる前に精神科のお医者さんに診てもらえればよなったのです。
ただ、その彼の年代だと、適応障害なる言葉そのものが珍しい時代だったかもしれませんから、そういった診断が下されるのも稀だったかもしれません。
ただそうなってくると、「日本の文化が嫌い」という連中がロクな人間ではないのなら、「なぜカズ・ヒロさんや中村さんがあれだけ大成功をおさめられたのか?」という疑問が湧いてくるのも、これまた事実であります。
このことに関して、評論家・山本峯章氏の著書『民主主義が日本を滅ぼす』(日新報道)のなかで、ちょっとヒントになる主張を見つけました。
その山本氏が言うには「人権よりも人格が日本の文化」ということです。
と、いうことはつまり、アメリカという国は、「人格や性格に多少問題があっても、やることさえきちんとやってくれれば後は大目にみてやる」という国なんでしょうか。
だとしたら、「日本の文化が嫌い=ロクな人間ではない」であっても、それを凌駕する高いスキルなりを身に着けていれば、アメリカでは認めてもらえる、ということで納得もできます。
これは裏を返せば、「俺も日本の文化が嫌いだから」という理由だけで渡米を考えている若者がいるとしたら、それは考え直した方がいいということです。
日本だと、長いものに巻かれていればそれなりに評価してもらえますが、アメリカだとそんな柵がないぶん、より仕事に関してはシビアだということになるからです。
そういえば20年ほど前、職場の知人の知人の中に、「俺には日本のやり方が肌に合わない」といって渡米した人がいたそうです。
そしたらその知人の知人は、「やっぱり日本の方が良かった」といって戻ってきたとか。
速い話、「日本の文化が俺には合わない」という理由だけで渡米したからといって、必ずしもその人が成功するとは限らないということですね。
ましてや先ほどからの自論でいけば、「自国(日本)の文化が嫌い」などとぬかしている連中にはロクな奴がいませんから、そんな連中が渡米して成功を収めようとするなれば、よほどの高いスキルを身に着けるか、よほどの高い志を持たなければならないかもしれません。
あるいは渡米後、日本にいたとき以上に痛い目にあい続けても、アメリカという国に対する幻想を最後まで捨てない人(要するに、志が高い人)こそが成功するのかもしれません。
どっちにしろ、成功への近道は存在しないということでしょうか。
そう考えると、カズ・ヒロ氏の「日本の文化が嫌い」という言葉も、なんだか逆説的にも聞こえてきます。
日本人が世界的に活躍できないのは、アメリカのような厳しい環境に身を置いていないからだ、とも受け取れます。
ところで話は変わりますが、以前も少し触れましたが、私の父はアスペルガーです(№355を参照)。
そんな父がまっとうに会社勤めができたのは、親のコネでと終身雇用制度があったからです。
しかもそんな父が結婚できたのも、これまた親の紹介の見合いからです。
ところが昨今は、規制緩和の影響で終身雇用制度が消え、私や父のような人間は、即リストラの対象です。
しかも最近は、親の紹介による見合い結婚という、日本的な価値観も消滅しつつありますから、父のような人間は結婚すら怪しくなってきています。
つまり私の父は、従来の日本型の社会によって守られていた、とも言えなくもないです。
ところが今は、そんな日本型の社会はほとんど影を潜め、アメリカ並みの競争社会になりつつあるようです。
そう考えると、その国のエンターテイメントの成熟度と競争社会の厳しさは、意外にも正比例したりするのかな、などと勝手に妄想したりする次第です。
それゆえ、「これだから日本はさぁ…」などと、ネット上等でブーブー文句を言っている連中って、本当に日本的なものが排除されたら生きていけるのかな、などと思ったりもです。
曲名:Overnight Success/TERI DESARIO
【映画レビュー】ジュマンジ(1995年:アメリカ)
原作 クリス・ヴァン・オールズバーグ
監督 ジョー・ジョンストン
脚本 ジョー・ジョンストン
グレッグ・テイラー
出演 ロビン・ウィリアムズ
ジョナサン・ハイド 他
<<<『ジュマンジ』のあらすじ>>>
1869年、深夜の森で2人の少年が大きな木箱を地中深くに埋めた……。1969年、製靴工場を営むニューハンプシャーの名家パリッシュ家の12歳になる一人息子アラン(アダム・ハン=バード)は気の弱い少年で、厳格な父サム(ジョナサン・ハイド)にいつも叱られていた。ある日、彼は工事現場の土中から、大きな木箱を掘り出す。それは「ジュマンジ」と書かれたゲーム盤で、アランはガールフレンドのサラ(ローラ・ベル・バンディ)とプレイをする。ところが、このゲームは投げたダイスの目に応じた結果が、実際に起こるのだった。
引用元(ネタバレあり):映画.com|ジュマンジ
『ハリー・ポッター』シリーズのなかで、リアルチェスなんて場面がありましたが、もしかして、その元ネタはこの映画ではないでしょうね。
リアルすごろくゲームという発想は、今まで会ったようでなかった発想です。
といっても、この映画の原作が書かれていたのは1980年代のようですが、実際、この映画を見るまでそういう発想があったとは思いもよらず、まさに「その手があったか」といったところです。
そのごろくゲームの内容も、ほとんどアドベンチャーゲームのようなものですから、主人公に襲い掛かる試練というのは危険極まりないものばかり。
そんなハラハラ感を、見事なCG技術で再現しています。
実を言いますと、この映画は20000年代後半に製作されたものばかりだと思っていました。
そして物語の舞台が1995年。
このタイムラグにいったい何の意味があるのだろうと、ずっと不思議に思いながら最後まで見てしまったのですが、なんてことはない、単なる私の勘違いでした。
つまり、1995年にしてあれほどのCG技術で撮影できたということですから、まさに恐るべしです。
ちなみにこの作品の監督さんは、『スター・ウォーズ』シリーズ(1970~80年代)や『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』などで特撮技術を担当していたジョー・ジョンストン。
おそらくその時の経験が、この映画でもふんだんに生かされているようです。
そんなハラハラ感も、ロビン・ウィリアムズの魅力で拍車をかけてくれます。
彼の映画は何度も見ているはずなのですが、やはり若くて元気だったころの彼の姿を見てしまうと、娯楽映画なのに、なぜか悲壮感がチラホラと湧き出てきてしまいます。
何と言ったらいいんでしょう、映画俳優というのは、いろんな意味で「彼一人だけのカラダではない」ということを感じずにはいられない。
この映画を見て、改めてそのことを感じてしまいました。
ところでこの映画、その後もシリーズ化され2019年には新作も公開されました。
その元になるゲームも、2000年代に入ると今作品のようなボードゲームではなくテレビゲームというのが面白い。
『ジュマンジ』も、時代とともに進化し続けるようです。
tag : SF ファンタジー ロビン・ウィリアムズ
【映画レビュー】未知との遭遇(1977年:アメリカ)
監督 スティーブン・スピルバーグ
脚本 スティーブン・スピルバーグ
出演 リチャード・ドレイファス
テリー・ガー 他
<<<『未知との遭遇』のあらすじ>>>
ある日、ラコーム率いる調査団がメキシコの砂漠で第二次大戦時の戦闘機を発見する。それは、消失当時と変わらぬ姿で残っていた。一方アメリカのインディアナ州では、町一帯の停電を調べていた電気技師ロイがUFOのような光を発見。以来、彼はこの不思議な光にすっかり魅了され、その正体を探っていく。やがて、光が行き着く先はワイオミング州のデビルズ・タワーという山だと判明するのだが…。
引用元:Yahoo!映画|未知との遭遇
同時期に公開されたのが『スター・ウォーズ』ということもあって、この1978年ごろというのは日本では空前のSFブームでした。
そのころ公開された菅原文太さんの『トラック野郎・激突一番星』も舞台背景にはSFブームが反映されているとのこと。
さてこの映画、やはりその他のSF作品のなかではかなりの異色で、実際の宇宙とのコンタクトをテーマにしています。
そのため、NASAやアメリカ国防省などが本当にこんなことをやっているんじゃないか、という錯覚すら起こしてしまうほどです。
ちなみにではありますが、この映画、公開前にはNASAやアメリカ国防省の検閲を受けていたという事実があったとかなかったとか。
もちろんその噂の出所は、アメリカ・ユダヤ陰謀論者であるようですが。
それぐらい、この映画は真意に迫るぐらいにリアルに描かれていたということでしょうか。
とりあえず、この映画はスピルバーグの長年の空想を映像化したようなようなSFファンタジーという位置づけです。
それででしょうか、なかにはこの映画を、言葉を越えた交流劇と捉えるユーザーの方もいるようですが、私には、どこか独特な不気味さも否めませんでした。
最後、宇宙へ旅立った彼らは一体どうなるのか?
宇宙人の目的は?
言葉が通じない彼らを本当に信用していいの?
さらに、地球人がUFOから帰還するシーンでは、小泉首相訪朝による拉致被害者奪還を連想してしまって、ぞっとするものがありました。
tag : SF スティーブン・スピルバーグ


